リハビリ写真生活

2021.09 脳梗塞発症。現在、右半身片麻痺があります。リハビリを兼ねて街角や花を中心に写真を写しています。ブログは、手のリハビリを兼ねて始めました。  たわいのない話ばかりですが、よろしくお願いします。

不自由になってわかると言うか、不自由になったから感じた話。

 おはようございます。管理人のTomoです。こう言う類の話は歪曲して受け取られるとマイナスかなと思ってしないようにしようと思っていたのですが、ちょっと思う事あって徒然なるままに書いてみようかと思います。
 
 身体が不自由になってわかるのは、世間は冷たいと言う事と、ちょっとした事でも気配りしてくれる人が居ると言う事。なんだか矛盾する話ではありますが、身体不自由歴5か月ほどで感じた感覚です。

 まず、世間は冷たいと思う事は、公共機関では(今の所)席を譲られた事がないのと、降りる時、後ろから押されて転びそうになった事がありました。ちなみに僕は補装具を目立つように赤にしてて、ズボンの上から装着してますので不自由なのはなるべくわかるようにしてます。でもそんな感じです。あ、ここでまず言いたいのは、決して「席を譲って欲しいなどと言いたい」と言う事ではないんです。健康な人と同じようにハンディーをハンディーと思わず生活はしたいです。ちなみに僕も健康な時に、電車で疲れてる中、やっと座れた時に、お年寄りが前に立った時などは、率先して席を譲って来なかったし他人の事を思いやる余裕なんてない生活をしてました。後ろめたい気持ちにはなりますから、思いやる気持ちが無いわけではないのですが、率先した行動には出られないそんな人でした。
 でも反面、冷たい事ばかりではなくて、生活してると仕事などでも「元気になってよかった」、「あなたが居なくなったら眼鏡は誰にお願いしたらいいの?」(眼鏡屋なんです。)とか温かい声を頂けるし、エスカレーターなどで乗る時にタイミング的にかち合った時にさりげなく順番を譲ってもらえたり、ちょっとした気配りがあったりして、とてもうれしくなるわけです。

 で、今日の言いたい事なんですけど、「健康な時は健康が当たり前、年齢もまだ老後にしては若いし、本当に自分勝手だったなぁ」と。身体が不自由になって周りを見渡すと、車いすの方や補装具付いてる人もいるし、歩きが不自由な人もたくさん目に付くようになりました。人によっては特別扱いは嫌い方もいるでしょうし、特別にして欲しいと言う人もいると思います。でもそれを口には出さないだけなんですよね。僕は甘い人間なので、自分にも優しくしてあげたいですが、この不自由をわかるようになった特権として、世の中にも改めて、「感謝と優しさを持たなきゃ」と思ったのです。そう言う気持ちを持つだけでもきっと届く人には届くと思いますし、救われる事もあると思うからなんです。恩着せがましく何かしなきゃいけないとかではなくて、気持ちを持つ事で醸し出る物があるのでは、なんて。不自由になってわかると言うか、不自由になったから感じた事として、そんな事が言いたくて今日は書いてみました。

*でも、偉そうな事を言っても自分の不自由な身体に怒りを感じたり、落ち込むこともあります。そんな時は、ちょっと行き詰まったらこんな椅子で一休み、これが身体に優しいし、イライラの軽減に繋がるかも。

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[街角]Tokyo/RICOH GR3