リハビリ写真生活

2021.09 脳梗塞発症。現在、右半身片麻痺があります。リハビリを兼ねて街角や花を中心に写真を写しています。ブログは、手のリハビリを兼ねて始めました。  たわいのない話ばかりですが、よろしくお願いします。

不健康の中で快適な生活をするなら、健康な時の物差しは捨てなきゃならない。

 管理人のTomoです。おはようございます。昨日の記事で10回投稿したみたいです。3日坊主はなんとか乗り越えられました。

 さて、今日のお話…脳梗塞になって救われた物に「命」がありました。これは何物にも代えがたい物ですから、本当に最優先でうれしい訳なんです。発症した時は、救急車の中にいる間も見る見る身体が動かなくなるし、呂律も回らないし、本当に「死ぬのかな」なんて朧げな頭で思った記憶があります。でも、今生きてはいますが、身体の健康に代表されるように阻害された物も多いです。身体の麻痺によって、動かしにくい、または動かせないとか、あと平衡感覚が弱い、動きによっては眩暈と言うかフラ付きが出るなど、日中仕事も日常生活もなかなか楽には行きません。
 まだ脳梗塞発症して5か月。退院して1か月半だから、体力的な低下などもあるとは思うので、時間と共に軽減または回復していくと信じてはいますが、それにしても「今、楽になりたい…」そんな事を思う訳です。急には良くなりませんから不健康な身体で出来る事、出来ない事をはっきりさせて行かなきゃならない訳です。そこで、自分の意識改革や自分の周りの人に僕の出来る範囲を知ってもらうようにして、少しでも不健康ながら快適に?と言うかある程度満足できると言うか…とにかく自分の事がわかり、周りに知って貰う事を試みてます。

 まず自分の意識改革としては、「健康な時の物差し」の刷新です。身体が不自由になったわけですから、物差しの目盛りも不自由になった身体に合わせないといけません。健康な時の考えは一度捨てて、「不健康な時の物差し」に交換すると言う事。また同時に周りの人には「今、出来る事、駄目な事」を明確に伝えると言う事をしています。周りを巻き込んでしまい迷惑な話だとは思いますが、無理して再発したり、無理して失敗しても困りますし…。物差し的例え話ですが、今ままでの1cmは不自由な身体には1mに感じてます。でも周りの人の物差しは変わらず1cmですから、僕が出来ない事があるとわかってくれてはいるのですが、1mと1cmでは、差異が生じていると感じるのです。

 でもなかなか、僕自身が、「健康な時の物差し」を捨てて「不健康な時の物差し」に代えるのは難しくて、自分自身出来ると思って取り組んでしまいます。結局出来ないとか、無理をしてないはずなのに今の体調では無理だったりと自分の限界自体がわからない始末なんです。これでは周りに知って貰う事も出来ません。この辺が当面の課題です。今の自分の限界がわかって、この新しい物差しが完成したら、不都合な生活も快適に感じるようになるにかなと思っています。当然、その間もその先もリハビリをして身体の回復を目指して、「健康な時の物差し」を取り戻すと言う事はしていかなきゃ行けないわけですけど。

 今日も上手く話せないですけど、生きていられる事には感謝ですが、身体の麻痺など不都合が有りながらも無難に仕事したり生活できたらまずはいいなと思っていて、その為に不都合に文句を言う前に、自分から変えられる物は変えなきゃと言う事を思ってると言う事を長々話しました。ではまた明日に。

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[街角]Yokohama /RICOH GR3